ADHD奮闘記

ADHDの母がADHDの子育て中!当事者でありながらADHDの子とどう向き合うかを日々模索中です

大人のADHD

みなさんこんにちは!
今日も寒いですね。朝起きるのが辛い日々です。

今日は以前書くと言っておいて書かなかった自分自身が診断を受けるまでをざっくり書きたいと思います。

思い返せば小さい頃から不注意の連続でした。
学校や家にランドセルを置いたまま出発、帰宅することはしょっちゅうでした。

自分の部屋はいつもぐちゃぐちゃ。
片付けようとしてもますますぐちゃぐちゃ。

集中することが難しく、体中がむず痒くなっていつもどこか上の空。
たまにスイッチがはいって集中してると、逆に周りの声が全く耳に入らなくなり、声をかけられても全然気がつかず、怒られることしばしば。

忘れ物が多い、わがまま、人の話を聞いてない、落ち着きがないなどなど。


だらしないからだとか、頑張ってないとか
よく怒られました。
母親にもできの悪い子というレッテルを貼られ、あなたには期待してないからと言われたりもしました。

友達も少なく、やっとできたともだちともどう距離を保てばいいのかわかりませんでした。

そのため、どんどん孤立していきました。

人とのコミュニケーションの取り方がわからなくて、一生懸命しゃべるとみんな黙ってしまう。

今思えば、空気の読めないことやズレたことを周りの雰囲気を察することなくしゃべってたんだろうなと思います。

社会人になったとき、これではいけないと、かなり努力しました。無理を重ねてようやく人並み程度にコミュニケーションが取れるようになりました。

成功体験を少しずつ積み上げ、少しずつ自信を取り戻していき、ようやく自分なりの人生を歩めるようになってきました。

その後結婚し、4人の子どもを出産しました。
結婚生活は辛いことが沢山ありました。
姑や夫との折り合いが悪く、言葉の暴力などもあり、離婚することになりました。

先に診断された三男のことを理解してもらおうと頑張りましたが、育て方が悪いとか、うちの血筋に問題はないとか、色々言われたりしました。

少しだけ理解してくれたかな?と思った矢先にクラブ活動を脱走して友達の家で遊んでいた三男坊が帰宅すると、『よくも恥をかかせたな』と一時間以上部屋に閉じ込めて殴る蹴る…元夫はプライドの高い人でした。

きっと許せなかったんでしょう。

色々あり、今は1人で3人の子を育ててます。
一番下の娘は元夫の元で暮らしています。
全員私と暮らしたいと言ってくれましたが、叶うことはありませんでした。


話を元に戻すと、そんな三男坊のことを少しでも理解してもらおうと、本を読みまくりました。

そんな中、『大人のADHD』という本に出会ったのです。

それをなんとなく手にとり、読み始めてびっくりしました。

そのまんま、自分に当てはまるのでした。

今までは息子のことばかりに目がいき、全然自分のことなんて考えもしなかったのです。

しかも、息子はADHDジャイアン型。わたしは息子のように手が出るとか教室脱走しなかったし!と思ってましたが、ADHDには色んなタイプがあるのです。わたしは不注意型の症例にぴったりはまってしまいました。

そこで、その本をもち息子の主治医に相談しました。

そこでカウンセリングを受け、小さい頃の話など色んな事を話し、最終的にADHDであると診断されたのでした。

息子のことがなかったら、自分のことに気がつけなかった。

息子のおかげで、日々抱えてた生き辛さの原因がわかり、対策を打てること、仕方ないこと、周りにフォローしてもらいたいことが何かを把握することができたのでした。